私的平和論

 こうもり的平和日記というブログで理想について語っていましたので、私としての平和論を書いてみようと思います。コメントだと長くなりそうなので。

 私の平和論は、「各国が安定し、緊張を持った外交を行っている」ことです。ある意味、パックスアメリカーナと冷戦も私の考える平和論に(現在よりは)近いものです。

 平和論としてよく言われるのが「各国が平和主義を採れば平和になる」ということですが、私は納得できません。政治と経済、それと軍事力は関連はあるけれども別物なのです。
日本とアメリカは、現在軍事的対立は考えられないぐらいの状態にあるのはほぼすべての方が異論がないと思います。それは、日本が軍備を始めても変わらないであろう事は、これも過半数の方が同意してくれると思います。
 しかし、ではその日米間で政治的、経済的に問題があるか?といえば、これは逆に問題がないと思う人は皆無でしょう。それを圧力ととったとして、それに抗った場合の報復に武力攻撃が待っていると考える人はこれまたほぼいないと考えてよいと思います。
 けれども、アメリカの要求を鬱陶しいと思う人もいるでしょうし、その人が権力・武力を持っている可能性もあるわけです。

 もし、世界各国の政府が平和主義にのっとったとして、まず、その政府が転覆する可能性はないのでしょうか?テロやクーデターは起きえないでしょうか?他国を攻撃したテロリストが自国にいて、それを見つけられなかったら?前述の日米間のように、戦争に発展する危険は微少であっても問題は存在しますし、それを快くなく思うひともいるわけです。

 そして、もっとも大事なのは軍事力を削減しても、軍事技術は残ります。そしてそれを利用する可能性は政府だけにあるわけではないのです。

 何かが起きたとき、すべての国が平和主義を取っていた場合どうするのでしょうか?日本国憲法第九条を世界のすべての国が遵守したとき、自国と関係ないからと無視するのでしょうか?そのような事例があります。二十世紀前半のアメリカです。有名なモンロー主義に基づいて、戦争への介入が遅くなったのは周知のことだと思います。現在のアメリカがその反対に立っているのはそういう理由もあるのではないかと思います。

 なお、軍事技術というのは、国の大事なのでその国の最新技術が研究されています。また、有名な話ですがGPSやインターネットはもともと軍のもの(GPSは今でもですが)です。そういう技術革新を促す研究は止めないで欲しいのです。そして、それは国民が管理できる・監視できるところにあってほしい…
 それは軍事技術じゃなくても良いじゃないか?技術が進んだときに、悪用されるのを防ぐためには国がそういう技術について研究しているほうがよろしいと私は思うのであります。

 非武装や、平和主義で世界が平和になるのであれば、犯罪が世の中で多発しているはずもなく、犯罪がないほど世の人が善人であれば、平和主義など語る必要がないと私は思います。

 「戦争が起きない」から、「戦争を起こさせない」。戦争を起こす権利と武力を持っているからこその政府の責任、国民の監視する義務。平和は国民が維持するもの。これらの認識をはっきりしていることが私の理想とする平和です。