太田光氏について

今年の最初の方にも書いた気がするのですが、気がついたことがあったので書いてみます。

太田光の私が総理大臣になったら…秘書田中」という番組がレギュラーになったらしい。

そんな事を知らずにこの前テレビをつけたらやっていたので見てみると、太田氏が「ネット掲示板の書き込みは一文字100円にする」といっており、その中で「こういうことを書いているやつをどうにかしないと…」のようなことを語っていました。
技術云々のことは論外であるのですが、考えを単純に思った時、あぁ、この人は高校時代の私に似ているなと思いました。

正確には、“理想が現実になると考えていた”自分です。

社会情勢がスタティックで、重要人物が死なないのであれば独裁という政治形態は望ましいと思っています。そして、社会主義はその次に望ましい政治形態でしょう。

しかし、社会情勢は常ならず、すばらしい為政者は生き続けるわけではありません。また、すばらしい為政者もそうあり続けるわけではありません。民主主義とは本来そういう変化に対して柔軟な対応を示すというポイントにおいて最も有効な政治形態であると考えます。もちろん、その民主主義の中には言論や思想の自由というものが含まれていることが重要であるのですが。

その、私が重要だと考える点においてすら言論の統制を行った方がよいと考えているのが太田氏のようです。

彼の考え方からするとこうなるでしょう「私はこういう社会が望ましいと考えており、実現可能なのになぜしないのか?」と。

そして、彼はこの内容の討議の時に「匿名掲示板は個人が特定できないから怖い」とも言っていました。これは彼がメディアに出ているからこその発言です。そして、自分勝手というキャラクターで仕事をしているからこその意見です。
これも「自分の発言はテレビなどのメディアで特定されているのに、他の人は名前を出さないでいられるのはおかしい」という不平等感からの発言だと思われます。一般人からみると、「でも、それで金貰ってるんじゃないか」ということになるでしょう。
彼自身は好きなことを言ってお金を貰っていながら、他の人には好きなことを言うなら金を払えと言っているのです。
彼が、お金を貰う為に言葉を選んだり、発言を気にしたりしているのであれば話は別でしょう。メディア用に別の人物を演じているのであればそれはお金を受け取るに値すると思います。この件も話題づくりのためであるというのであれば。

彼の言動にそのようなところは感じません。まさしく好き勝手やっているようにしか。
彼は今年で40歳ぐらいだったと記憶しています。干支一回り以上下の私が自分の高校時代と同じようだと思ってしまうほどの行動、発言。

あのままで不惑…一度惑ったほうがよかったのではないか?と思わずにはいられません。